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そこにいるだけでいい

ゆったりシンプルライフを送っています。ハリネズミも一緒です。

はなちゃんの食物アレルギーの発症と症状と経過と今。

はなちゃんのアレルギー

愛子には二人の子どもがいます。娘のはなちゃん(17歳)と息子のヒデ君(10歳)です。

 

二人ともアレルギーがあります。

 

はなちゃんのアレルギーは花粉症以外はほぼ完治しました。

 

今日ははなちゃんのアレルギーについて、発症から現在までを記します。

 長くなります(笑)

はなちゃんのアレルギー

赤ちゃんからM先生に出会うまで

 

はなちゃんは1998年に生まれました。

 

赤ちゃんのときは普通でした。

 

時々口のまわりが赤いことがありました。

 

2歳ぐらいになると、ほっぺたに赤いブツブツができ始めました。愛子はそう気にしてはいませんでした。毎日見ていたので、変化に気がつかなかったのかもしれません。

 

小さい子どもをつれて電車やバスに乗ると、隣に座ったおばあさんがよく話しかけてくれました。「かわいいわねー。」とか「大変だけど、今が一番いい時よ。」とか。

 

そして必ずこうくるのです。「ほっぺ、どうしたの?」愛子は「どうしたんでしょうねぇ。」と軽く流していました。

 

けれどそんなことが毎日毎日続くと「なんでお母さん、治してあげないの?」と責められているような気持ちになりました。言ってくださる方は、決してそんなつもりではなかったのだと思いますが。

 

それから病院めぐりが始まります。食物アレルギーがあるのかもしれないと思いました。近所の内科・小児科へ行きました。が、「たいしたことありませんね。気にしなくていいですよ。」と言われました。

 

次は皮膚科へ行きました。「血液検査をしていただけませんか?」と聞いてみました。「血液検査はあてにならないんですよね。数値が出ても症状がない場合もあるし、アレルギーがあっても数値としてあらわれない場合もあるんです。」

 

3、4件病院を回りましたが、どこでもおなじ理由で血液検査すらしてもらうことができませんでした。

 

困り果てて姉に相談しました。姉は「いい病院があるよ。アレルギーの権威の先生がいるの。」と都内のMクリニックを教えてくれました。

 

その時はまだ食物アレルギーかどうかもわからなかったのですが、藁をもすがる気持ちで電話をかけました。

 

そのクリニックは人気でだいぶ先まで予約がうまっていました。2ヶ月ぐらい待った気がします。やっとその日が来ました。そこで神と出会ったのです。M先生です。

 

M先生は今までのお医者さんとは違い、愛子の話を丁寧に細かく聞いてくださいました。そしてすぐに血液検査をしてくださいました。念願の血液検査でした。

 

数週間後、血液検査の結果を聞きに行きました。ほんの少しですが、小麦の反応が出ていました。多分レベル1~3ぐらいだったと思います。

 

M先生はその結果を重く受け止めてくださいました。今はいろいろな治療法がありますが、当時はまだそんなに治療法もありませんでした。

 

M先生の方法は、除去をする方法です。小麦と卵を完全に摂取しないようにするのです。(この治療法には賛否両論あると思います。くれぐれも個人の勝手な判断で行わないでください。命にかかわります。)

 

小麦と卵を完全に除去することは、想像以上に大変なことでした。

 

パンやうどん、目玉焼きやオムレツはもちろんだめです。少し入っているものも最初は完全に除去するので、食べてはいけません。ハンバーグやコロッケ、カレー、クッキー、ケーキ、プリンなど洋食はほとんどアウトです。

 

でもはなちゃんの場合は、和食はだいたいいけたので助かりました。またはなちゃんの時は、お醤油にも小麦が入っているのできび醤油などを使っていました。お味噌も小麦の入っていないものを選びました。

 

おやつは果物かおせんべい。その他は、手作りしていました。

 

ところがどうでしょう。1ヶ月もすると、ほっぺの赤いブツブツが消え、きれいなスベスベのお餅のような肌になったのです。

 

愛子は本当に驚きました。何カ月もの間、悩ませられたブツブツが小麦と卵を除去しただけできれいになってしまったのです。

 

それからは、除去食を続けました。3ヶ月もすると、除去食を作ることに慣れてきました。

 

幼稚園から小学校へ

 

幼稚園に入ってからは、アレルギーに関しては面倒なことが度々ありました。

 

食事はお弁当だったので大丈夫だったのですが、行事のときに園でおやつが出たり、親睦会でおやつが出たりしたのです。

 

その度に先生や係のお母さんと連絡をとりました。たいていは小麦か卵が入っていましたから、どのような形か聞いて別の材料で似たようなものを作って持って行きました。

 

週に2度パン給食の日がありましたが、はなちゃんはお弁当を持って行きました。

 

幸い、幼稚園のお友達やお母さんや先生はみなとてもいい人でした。はなちゃんは、アレルギーのことでいじめられたことは一度もありませんでした。お友達の家に遊びに行ったときも、おかあさんが気をつかってリンゴをたくさんむいてくれたりしました。

 

年長さんになりました。M先生から、「小学校の給食が食べられるように、少しづつ除去を解除していきましょう。」と言われました。

 

最初は、うずらの卵の黄身を耳かき一杯から始めます。食べても大丈夫だったら、1週間後に二杯食べます。

 

そうやって徐々に食べられる量を増やしていきます。現在行われている負荷試験療法は(こういう呼び方でいいのでしょうか?)このスピードがはやい版ですね。

 

食べるときは、何かあるといけないので必ず病院が開いている時間にします。

卵がある程度進んだら、今度は小麦も始めます。最初はうどん1cmからでした。

 

小麦と卵の解除が進むと、幼稚園のパン給食の卵サンドを食べてみようということになりました。幼稚園で具合が悪くなるといけないので、幼稚園にパンを卸しているパン屋さんに行って同じ卵サンドを買って、半分食べさせました。

 

そのときのはなちゃんの顔を愛子は忘れることができません。今まで特に不平を言ったことがなかったはなちゃんが「卵サンド、ずっと食べたかったんだぁ。」と嬉しそうに言って笑ったのです。

 

「ああこの子は小さいなりにずっと我慢していたんだ。」愛子は除去に必死で、はなちゃんのそんな気持ちまで考えてあげることができなかったのです。

 

はなちゃんの除去は順調に進み、小学校に入るとみんなと一緒に給食を食べることができました。ただし、卵がまるまる1個出るときは、半分にしました。それから給食で食べる分、家では食べないようにしました。

 

しばらくすると、給食のメニューに合わせて、学校で卵を食べた日は家でも食べてよいことにしました。その代わり、給食で食べない日は家でも食べません。そうやって卵や小麦を摂らない日を作っていました。

 

アレルギーの卒業式 

小学校2年生のある日、いつものようにMクリニックへ行きました。診察が終わるとM先生に突然「もう卒業ですね。」と言われました。最初は何のことかわかりませんでした。それは、「もう通院しなくてよい。」という意味でした。

 

愛子は突然の卒業式に涙があふれそうになりました。

それからだんだんと、はなちゃんの食生活は普通になりました。

 

でも小麦や卵が多く続くとほっぺにブツブツができるので、そうすると少し食べないようにしたりしました。中学生ぐらいからは、一切そういうことも気にせずなんでも食べています。

 

はなちゃんは他に、アレルギー性気管支炎もありました。よく咳をしていましたが、そちらも小学校2年生ぐらいからはなくなったと思います。

 

スギ花粉症はずっとありますが、スギ花粉の時期の始めに1週間ぐらい病院でもらった薬を飲むだけであとはマスクをしていればすむ程度です。

 

はなちゃんはもともと重度のアレルギーではありませんでした。もっと重い症状の子やアレルギーの種類が多い子もいると思います。

 

でも適切な治療や腸の成長によって、食物アレルギーは改善されることが多くあります。もちろん、そうならない場合もあります。

 

これはほんの一例として受け取っていただければと思います。

 

今お子さんのアレルギーで大変な思いをされているお父さんお母さんの少しでも参考になればと思い書かせていただきました。

 

また弟のヒデ君(10歳)はもっといろいろありました。それを語るためには、はなちゃんのアレルギーのことを書かなければなりませんでした。

 

アレルギーの子どもは、増えています。お子さんもつらいでしょうが、親も大変です。でも気をつけていれば、死ぬことはありません。(死と隣り合わせで常に緊張していなければならない場合もありますが)

 

アレルギーっ子は、食事に気を使っている分むしろみんなより元気かもしれません。

 

藤澤重樹先生の本に「アレルギー体質の子は優しい」と書かれていました。

 

アレルギーがあっても、元気でそこにいてくれればいい。

 

今は、ただただそう思います。

 

※このブログはあくまでも参考です。アレルギーの状態や種類はひとりひとり違います。必ず医師の指示に従ってください。

 

ヒデ君のアレルギーについては、今後数回に分けて書いていきます。