そこにいるだけでいい

不登校からの復活。シンプルな暮らし。

沖縄旅行記2日目②ひめゆりの塔へ。

3/21から24まで家族4人で沖縄に行ってきました。2日目の午後はひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館へ行きました。

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 沖縄の気温は22度ぐらいでした。昼間は長袖1枚ぐらい、夜と、ちょっと寒い時は薄い上着をはおるぐらいでした。花粉症の症状もほとんどなく、とっても快適でした。天気はだいたい曇っていました。時々陽がさす程度でした。

ひめゆりの塔へ

本当は美ら海水族館へ行く予定でした。ちょっと遠いなあと思っていたら、子供たちが「沖縄に来てわざわざ水族館に行かなくてもいい。ひめゆりの塔に行きたい。」と言うので急きょひめゆりの塔へ行くことにしました。午前中に行った首里城との距離も車で40分ぐらいと近くにありました。

実際には間に国際通りで昼食を食べたので、国際通りから行きましたがこちらも40分ぐらいでした。

入口で献花用のお花を200円で売っていたので買いました。

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ひめゆりの塔とは

終戦間近の1945年、沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部から女学生たちは学徒隊として招集されました。女学生たちは伊原第三外科壕で負傷兵の看護や身の回りの世話をし、戦乱に巻き込まれました。女学生や職員の多くの尊い命が失われました。女学生たちの年齢は15歳から18歳ぐらいだったといいます。

「ひめゆりの塔」とは伊原第三外科壕跡に建てられた慰霊碑です。「ひめゆり」は第一高等女学校の校誌名「乙姫」と、師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせた語で元来は「姫百合」でしたが、戦後ひらがなで表記されるようになったそうです。「塔」と名前がついていますが、実際には高さは数十センチです。

ひめゆり平和祈念資料館

ひめゆりの塔の前で献花をして、手を合わせてから横にあるひめゆり平和祈念資料館に入りました。(1 枚目の写真)

平和祈念資料館には、写真、映像、生存者の証言映像や手記、女学生の遺品、伊原第三外科壕内部を再現したジオラマなどが展示されています。

かなり衝撃的な映像もあり、愛子は子供たちには重すぎるのではないかと心配しました。館内ではみな無口になり、真剣に資料を見ていました。館内は約1~2時間ほどで回れます。

入館料大人310円高校生210円小学生110円

 

子供たちは衝撃を受けながらもいろいろと考えさせられたようで、「行ってよかった。」と言っていました。心配していたとうの愛子が少々参ってしまい、出口のベンチで少し休んでから帰りました。

「ひめゆりの塔」のお話はのちに小説になったり映画化ドラマ化されたことで有名になりました。沖縄県内にはこのような慰霊碑が他にもたくさんあるそうです。沖縄以外でも亡くなった方はたくさんいらっしゃいます。

愛子が生まれるほんの20年前のお話です。この現実を忘れてはいけないとあらためて思いました。

 

お昼ご飯を白米しか食べなかったヒデ君が「夕飯はマックがいい。」と言うのでマクドナルドのドライブスルーでヒデ君の夕ご飯を買いました。小麦と魚介類のアレルギーがあるヒデ君は食前のお薬インタールを服用し、ビッグマック、ポテト、コーラをいただきました。(現在ヒデ君の小麦アレルギーはだいぶよくなっています。)

他の3人は他に、スーパーでサラダ・唐揚げなどのお惣菜を買って食べました。愛子は他にホテルに戻ってから昨日買った即席ビーフシチューを食べました。

ヒデくんがお昼ご飯に白米しか食べなかったお話はコチラです。↓

wakakusa.sokoniirudakedeii.com

宿泊先の沖縄残波岬ロイヤルホテルの前にある海岸で、海に落ちる夕日を眺めながら夕ご飯です。

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のはずだったのですが、あいにくの曇り空で夕日を見ることはできませんでした。でもとっても気持ちよかったです。

 

明日は沖縄の海沿いのおしゃれなレストランのお話です。つづく。

 

今日もお読みいただき本当にありがとうございました!

 

※アレルギーのある方は充分にお気をつけください。糖質制限、最強の食事は正しい方法で行ってください。持病のある方は医師の指示に従ってください。